2017年12月 8日

11月のブログ ― 正しいことは、いいことか

11月のブログ ― 正しいことは、いいことか

皆さんは、世の中正しいことの要求がきつすぎて、息苦しい、と感じられることはありませんか。私は、最近の正しさを求め、妥協の余地を許さない風潮に少々うんざりしています。私は、人間が雑にできているせいか、特に最近、戦後よりだんだんと正しさ、正義の要求が強くなりすぎて、余裕、ゆとりが失われ、全体として活気がなく生きるのがきつく、息苦しいと感じます。

最近の例では、横綱日馬富士の暴行による引退騒ぎ、確かに暴力はよくないことはわかりますが、総攻撃で引退させるほどの悪いことかという感じがします.反省の機会を与え、罪を償った後、復帰の機会を与えるなどの路がなかったのかと残念に思われます。また、不倫をしただけで罪人扱い誌、国会議員等の職を辞すことを余儀なくされて社会的に抹消されています。不倫はどこの時代にもあり、聖書にも汝不倫をすることなかれといわれていますから、人間につきものなのでしょうか。これなど、適当に非難して聞き流しておけばいいのであり、当該者もそれなりの罪悪感を感じているのではないでしょうか。責める人も実行しなかったにしろ、それに近い感情を抱いたことがないないでしょうか。そうであれば、これほど人を責められないのではないかと思われます。

他にも時代とともに評価が変わってきた例に、顧客の接待、談合、これらは現在、正義の名の下に全て悪として排除されています。これらは諸悪の根源のようにマスコミで叩かれますが、少額であれば社会の潤滑油となり、スムーズな商談締結の効果かもありうるのではないでしょうか、結果として経済の効率化、活性化につながるのではないかと思われます。

江戸時代においても、田沼意次が老中の時代には経済は繁栄しましたが、賄賂が流行し反感を買って失脚し、跡を継いだ松平政信が寛政改革で倹約令をしき、厳格質素な生活を良しとする政策を採りました。庶民はゆとりがなくなったと感じ、「白河の清き流れに住みかねて元の田沼ぞ恋しきと」狂歌に歌いました。

世の中のゆとりがなくなるようになったのは、私の感じでは、日本的労働慣行―終身雇用、年功序列、企業別組合―が次々と廃止され(但し、最近のトップ企業、神戸製鋼、三菱マテリアル、東レ等のデータ改ざん事件は悪しき日本的慣行が正義として残っていることに起因する例です)、西欧型の労働慣行つまり実力主義、能率主義一辺倒になり人をけ落として行くことが良いということになり、会社は戦場ということになりました。この結果、富の分配の不平等が激化し、富める者はますます富み、貧しい者は一層貧困化していくようになっています。以前はこのような差異は良くないという風潮がありましたが、今は成功する者は実力があると賞賛される事態になっています。

実力あるものが勝つ、そこに正しいと言えるのでしょうがそれだけではゆとりがなくなり、ギスギスして住みよい社会とは言えません。

 これを軌道修正しようとするのが政治であり、政党の仕事かと思われますが、企業減税はあるが一般人には増税であり、種々の規制ばかりが施行されてますます自由の幅が狭められていきます。これらは決定し、法制化されれば正しいことになります。正しいことはいいことであるとは言い難くなります。西欧では、若者、学生が若年失業率の高さ等のため、修正を求めて反対運動を展開しているようですが日本では、学生、若者にはこの様な元気が見られません。日本の若者がもう少し主張をし世の中を変えようとする姿を見てみたい気がします。

 来年はもう少し正しくなくてもいいがゆとりある社会になることを願っております。

 

2017年12月 8日

森島 中小企業 ISO支援オフィス


コンサルタント 森島高明


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