2019年5月 1日

2019年4月のブログ ― 平成から令和へ

20194月のブログ ― 平成から令和へ

 今月は、平成最後の月であり、5月1日から零和へ元号が変わるので平成から令和ということでそれに関した話題について述べたいと思います。

私は昭和、平成、令和の3つの元号を生きることになりましたが、元号にはそれほどこだわりガなく、特に感じるものはありませんが、3代に渡る天皇を拝見できるのはそれぞれ特徴をを持っておられるから興味深いものを感じます。

昭和天皇の敗戦時に人間となられたことに大人たちが話題にしていました。小学生の頃には、天皇陛下が伊勢神宮に参拝されるのでお召列車の通過を日の丸の旗を振っていたのをたことを覚えています。また、亡くなられる前、危篤状態でマスコミ、テレビが様々な番組を等を自粛、祭りの中止されていました。

 平成天皇は、美智子妃殿下との結婚以来、明るい軽快な方という感じを持っています。その果たされた役割にはただ頭が下がる思いです。平成天皇は1969年(昭和34年)結婚以来30年間、天皇、皇后の30年間、合わせて60年間全国各地を回り続けられました。その範囲は、東は根室市、西は与那国島、南は石垣島や硫黄島、北は稚内市や利尻島に及びます。全都道府県を少なくとも3回以上訪れ、多いところでは10回以上脚を運んでいます。また、被災地を37回訪問され被災者と同じ目線で対応されているのは忘れらられない出来事です。

2016年8月に発表された「象徴天皇としてのお勤めについての天皇陛下のおことば」で「皇太子時代も含め、これまで私が皇后とともに行ってきたほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に記憶させ」と述べられたのは、この60年間の行啓(皇太子・皇太子妃が外出されること)や行幸啓(天皇・皇后がご一緒に外出されること)の体験の蓄積があったからと思われます。ここで天皇は「国民」ではなく「市井の人々」という言葉を使われています。平成天皇にとって国家とは必ずしも抽象的な「国民」からなるものではなく、一人ひとり違った顔が見える「市井の人々」がいて、そうした人々からなる共同体があり、その共同体集まって日本という国家を形成していることを十分に認識されてのことだと思われます。日本という共同体からこぼれ落ちそうな場所に足を運び「国民統合の象徴」として緩やかな統合を図ろうとしてこられたのでしょう。天皇は時間的に古代とつながる存在とともに、空間的にも国土の隅々と繋がる存在であることを改めて意識させられたものでした。

新天皇はその生活振りからみて、一層国民に近くあられ、考え方もより新しくなっているのではないかと思われます。その言動が今後どのように変わり、また伝統を継続しているのかを拝見することになるのは興味深いことと思われます。

伝統を引き継ぐということは、各国の皇族と同じく大変な業務をこなしていかざるを得ないのでしょう。一方で、例えば現在の天皇のあり方を急激に変えていくことが可能かどうか、例えば地方への行幸を減らすことができるのか。新たになことを行いたいときにどれくらい政府と折り合いをつけることができるのかという問題も生じることでしょう。また、新天皇は皇太子時代に記者会見で水問題や国際問題に言及されています、国民国家の象徴である天皇が国際問題といえる水問題や国際問に関わるとなると、国民国家を飛び越える問題への対応となります。これに対して国民全体の支持が得られるかどうか。皇族の絶対数が減っている中、公務の担い手として女性、女系がどのようにあるべきかという問題が表面化していきます。外国籍の人々も含めた国民統合の象徴というというなかで、どのような理想が実現できのでしょうか。天皇を抱く立憲君主制は現代の社会において、国民が天皇を支持するのは安心感です。新天皇もこれらを体現されることを望みます。

 

 

 

森島 中小企業 ISO支援オフィス


コンサルタント 森島高明


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