2015年10月 8日

7月のブログ ー電車で宣教師志望の米国学生と出会う

       7月のブログ ー電車で宣教師志望の米国学生と出会う

今月のブログは、電車内で出会った米国人の宣教師を目指す学生との対話について述べます。

帰宅のため、藤沢始発の電車に乗り、いつもの通り暇つぶしにNHKビジネス英語のテキストを読んでいると、横から「英語を勉強しているのですか」と声をかけられて顔を向けると米国人の学生らしき人が喋りかけてきました。「私も日本語を勉強しています」というので「独学ですか」と聞けばよく通じないようで、「独りで勉強しているのですか」と問うと、「ツールを使って学習しています」、と言ってiPadを出してそのソフトを見せてくれました。「宣教師になるつもりだが今、休学して布教をしている」とのこと。「プロテスタントか」と聞くと、「イエスキリスト教会です」という。それは何かと聞くと、モルモン教に近いアメリカで起った派であるとのことです。それなら、「以前、街でモルモン経(けい)と言ってよく話しかけられた」といえば、「今はモルモン書というということである」とその書を取り出して説明してくれました。モルモン教というのはこの教会の会員でない人が呼ぶ名で、正式にはイエスキリスト教会ということです。その教えが聖書と並ぶ聖典であるモルモン書です。以前は、この書をモルモン経(けい)と呼んでいたとのことです。

私も学生時代、クラブ活動で福音聖書研究会に入っていて、出る度、祈りの折にここに救われない人がいますこの人が救われますようにと押し付けがましく言うので嫌になってやめたと言えば、「自分で納得して入ってくれるのがいい」という答えでした。学生当時、ザビエル育英会の学生寮に入っていたが、創価学会の学生や私に対して信じろとか集まりに出ろとか一切押し付けがましい干渉をしなかったのでカソリックにはが好感が持てたことや、スペイン人の神父が寮長であり、戦闘的で学生運動なんかについても戦えと言って学生を煽っており、この神父とよく議論をしたことを話しました。

このような話をしているとあっというまに時間が経ち、米国学生が電車から降りる際、「これをプレゼントします」といって手にしていたモルモン書をくれました。

真面目な学生で、もっと話しを続けたいと思われ、久しぶりに人と話をして面白いと思いました。こういう人がいる限りどこかで誰かと話せるチャンスがあるのではないかとほのぼのと明るい気分になりました。

最近面白いと思って読む本の著者は、佐藤優ーで、外務省で鈴木宗男事件に巻き込まれ監獄生活を送らされた人です。この著者の書物は独自の視点があって面白く、必ず読んでいますが、同志者大学神学部卒でキリスト教神学の研究をライフワークにしてもいます。もうひとりは仲正昌樹で、この人はドイツの政治学、哲学などを解説していますが、これも独自の視点があって面白いのですが、この人は生長の家出身です。宗教関係の人は、自分で考えるということが身についているので面白いのかと考えさせられました。

 余談ながら、イスラム教のスンニー派とシーア派の血で血を争う壮絶な戦闘を見ていると、宗教は現代において生きているという感じがします。それに比べてキリスト教の各派はいかにも静的な感じがすると思われました。

2015年10月 8日

6月のブログ ―バッハ・コレギウム・ジャパンを聴く

6月のブログ ―バッハ・コレギウム・ジャパンを聴く

今月は、調布音楽祭の一環として演奏された「バッハ・コレギウム・ジャパンの『四季』華麗なる協奏曲の夕べ」を聴きに行きましたのでこれについて述べたいと思います。バッハ・コレギウム・ジャパンは日本を代表するオルガン、チェンバロ奏者の鈴木雅明が日本の各楽器のスペシャリストを集めて1990年に創設したバッハ等バロック音楽を専門とするオーケストラ及び合唱団です。バッハを当時の楽器や方法で演奏する古楽団体です。

2014年第45期サントリー音楽賞を受賞しています。最近では、国際的活動の幅を広め世界各地のフェスティバルに参加し、好評を博し、その活動の幅を広めています。録音活動も旺盛で協会カンカータシリーズは2013年2月に全曲録音が完了し世界的に希な業績と評価されています。

音楽会には年数回、足を運んでいましたが、交響曲、ピアノ演奏が主でした、今回はバロック音楽を生で聴くということで期待して出かけました。曲目はビバルディの四季、ヘンデルのオルガン協奏曲、バッハの2つのバイオリンのための協奏曲、マルチェッロのオーボエ協奏曲等です。

CDでは四季は幾度となく聴いていましたが、生で聴くと聴き慣れた音を各演奏者がどのようにし演奏しているのかがよく分かりこれであの音が出るのかと感心して聴きました。生の演奏では、音の幅というか艶というものを実感できました。オルガンもパイプオルガンと違い高い音が出るので最初は何の楽器を弾いているのか当惑したほどです。

曲目では、バロック音楽でも聴き慣れたバッハが演奏されたときはほっとしました。バロック音楽でもその作曲者によって曲から受ける感じが大きく変わるのを実感しました。演奏家では寺神戸亮がコンサートマスターを務めていますが、CDでは何度か聴いていましたが生では初めてで、勝手に懐かしい人に出会ったような気分にもなりました。

四季では4シーズン毎にそれぞれ主役が交代して演奏し、聴衆の喝采を浴びていましたが、最後の冬では寺神戸亮が勤め、余裕を持った演奏で貫禄を示していました。

オーボエの演奏も生で聴いてみて、得も言われぬその音色の素晴らしさに圧倒され、CDではその音色の一端が伺えるに過ぎないと生の素晴らしさを改めて実感できました。その昔、NHK FM「朝のバロック」、解説者の服部幸三氏がオーボエの繊細な音を出すには、オーボエの口の部分は竹で出来ていてこれを丹念に削って使用し常に百本くらいは準備しておくのだという解説を思い出しました。

全体の雰囲気はアットホームでほのぼのとしたものが伝わりました。これはリーダーの鈴木雅明の人柄、リーダーシップによるものでしょうか。また、鈴木雅明の息子の鈴木優人もメンバーでチェンバロとオルガンを演奏していました。鈴木優人は、調布音楽祭のエグゼクティブ・プロデューサーを勤めていてその役割も演奏の合間に果たしていました。この親子の役割分担も全体のまとまりを良くしているようでした(別の日に親子のチェンバロの競演があったようです)。

次は鈴木雅明が推奨するバッハの「ミサ曲ロ短調」の生演奏を聴きたくなりました。私は「マタイ受難曲」ガバッハの中で1番好きで繰り返し聴いていますが、鈴木雅明は「ミサ曲ロ短調」を隅々まで凝らされた建造物に例え、遠くから眺めれば揺るぎない大聖堂のようだが、近寄れば複雑なモザイク模様が絡み合い、細部まで興味が無限に尽きないと評しています。是非この曲を鈴木雅明の演奏で聴いてみたくなりました。

ところで、バッハの良さはどこにあるのでしょうか。バッハは常々音楽は楽しくなければならいと言っていたということです。それが何百年という年を経て現在にも伝わって来るからでしょうか。バッハを聴くと心が和みます。どの曲も好きですが特に好きなのは、マタイ受難曲、無伴奏チェロ組曲、無伴奏バイオリン組曲等です。聞く音楽に迷ったらバッハというのが私の流儀です。バッハを聞いたことない人も是非、聞いてみると、その素晴らしさの虜になること請け合いです。

 

2015年10月 7日

6月のブログ ―バッハ・コレギウム・ジャパンを聴く

6月のブログ ―バッハ・コレギウム・ジャパンを聴く

今月は、調布音楽祭の一環として演奏された「バッハ・コレギウム・ジャパンの『四季』華麗なる協奏曲の夕べ」を聴きに行きましたのでこれについて述べたいと思います。バッハ・コレギウム・ジャパンは日本を代表するオルガン、チェンバロ奏者の鈴木雅明が日本の各楽器のスペシャリストを集めて1990年に創設したバッハ等バロック音楽を専門とするオーケストラ及び合唱団です。バッハを当時の楽器や方法で演奏する古楽団体です。

2014年第45期サントリー音楽賞を受賞しています。最近では、国際的活動の幅を広め世界各地のフェスティバルに参加し、好評を博し、その活動の幅を広めています。録音活動も旺盛で協会カンカータシリーズは2013年2月に全曲録音が完了し世界的に希な業績と評価されています。

音楽会には年数回、足を運んでいましたが、交響曲、ピアノ演奏が主でした、今回はバロック音楽を生で聴くということで期待して出かけました。曲目はビバルディの四季、ヘンデルのオルガン協奏曲、バッハの2つのバイオリンのための協奏曲、マルチェッロのオーボエ協奏曲等です。

CDでは四季は幾度となく聴いていましたが、生で聴くと聴き慣れた音を各演奏者がどのようにし演奏しているのかがよく分かりこれであの音が出るのかと感心して聴きました。生の演奏では、音の幅というか艶というものを実感できました。オルガンもパイプオルガンと違い高い音が出るので最初は何の楽器を弾いているのか当惑したほどです。

曲目では、バロック音楽でも聴き慣れたバッハが演奏されたときはほっとしました。バロック音楽でもその作曲者によって曲から受ける感じが大きく変わるのを実感しました。演奏家では寺神戸亮がコンサートマスターを務めていますが、CDでは何度か聴いていましたが生では初めてで、勝手に懐かしい人に出会ったような気分にもなりました。

四季では4シーズン毎にそれぞれ主役が交代して演奏し、聴衆の喝采を浴びていましたが、最後の冬では寺神戸亮が勤め、余裕を持った演奏で貫禄を示していました。

オーボエの演奏も生で聴いてみて、得も言われぬその音色の素晴らしさに圧倒され、CDではその音色の一端が伺えるに過ぎないと生の素晴らしさを改めて実感できました。その昔、NHK FM「朝のバロック」、解説者の服部幸三氏がオーボエの繊細な音を出すには、オーボエの口の部分は竹で出来ていてこれを丹念に削って使用し常に百本くらいは準備しておくのだという解説を思い出しました。

全体の雰囲気はアットホームでほのぼのとしたものが伝わりました。これはリーダーの鈴木雅明の人柄、リーダーシップによるものでしょうか。また、鈴木雅明の息子の鈴木優人もメンバーでチェンバロとオルガンを演奏していました。鈴木優人は、調布音楽祭のエグゼクティブ・プロデューサーを勤めていてその役割も演奏の合間に果たしていました。この親子の役割分担も全体のまとまりを良くしているようでした(別の日に親子のチェンバロの競演があったようです)。

次は鈴木雅明が推奨するバッハの「ミサ曲ロ短調」の生演奏を聴きたくなりました。私は「マタイ受難曲」ガバッハの中で1番好きで繰り返し聴いていますが、鈴木雅明は「ミサ曲ロ短調」を隅々まで凝らされた建造物に例え、遠くから眺めれば揺るぎない大聖堂のようだが、近寄れば複雑なモザイク模様が絡み合い、細部まで興味が無限に尽きないと評しています。是非この曲を鈴木雅明の演奏で聴いてみたくなりました。

ところで、バッハの良さはどこにあるのでしょうか。バッハは常々音楽は楽しくなければならいと言っていたということです。それが何百年という年を経て現在にも伝わって来るからでしょうか。バッハを聴くと心が和みます。どの曲も好きですが特に好きなのは、マタイ受難曲、無伴奏チェロ組曲、無伴奏バイオリン組曲等です。聞く音楽に迷ったらバッハというのが私の流儀です。バッハを聞いたことない人も是非、聞いてみると、その素晴らしさの虜になること請け合いです。

 

2015年10月 7日

6月のブログ ―バッハ・コレギウム・ジャパンを聴く

6月のブログ ―バッハ・コレギウム・ジャパンを聴く

今月は、調布音楽祭の一環として演奏された「バッハ・コレギウム・ジャパンの『四季』華麗なる協奏曲の夕べ」を聴きに行きましたのでこれについて述べたいと思います。バッハ・コレギウム・ジャパンは日本を代表するオルガン、チェンバロ奏者の鈴木雅明が日本の各楽器のスペシャリストを集めて1990年に創設したバッハ等バロック音楽を専門とするオーケストラ及び合唱団です。バッハを当時の楽器や方法で演奏する古楽団体です。

2014年第45期サントリー音楽賞を受賞しています。最近では、国際的活動の幅を広め世界各地のフェスティバルに参加し、好評を博し、その活動の幅を広めています。録音活動も旺盛で協会カンカータシリーズは2013年2月に全曲録音が完了し世界的に希な業績と評価されています。

音楽会には年数回、足を運んでいましたが、交響曲、ピアノ演奏が主でした、今回はバロック音楽を生で聴くということで期待して出かけました。曲目はビバルディの四季、ヘンデルのオルガン協奏曲、バッハの2つのバイオリンのための協奏曲、マルチェッロのオーボエ協奏曲等です。

CDでは四季は幾度となく聴いていましたが、生で聴くと聴き慣れた音を各演奏者がどのようにし演奏しているのかがよく分かりこれであの音が出るのかと感心して聴きました。生の演奏では、音の幅というか艶というものを実感できました。オルガンもパイプオルガンと違い高い音が出るので最初は何の楽器を弾いているのか当惑したほどです。

曲目では、バロック音楽でも聴き慣れたバッハが演奏されたときはほっとしました。バロック音楽でもその作曲者によって曲から受ける感じが大きく変わるのを実感しました。演奏家では寺神戸亮がコンサートマスターを務めていますが、CDでは何度か聴いていましたが生では初めてで、勝手に懐かしい人に出会ったような気分にもなりました。

四季では4シーズン毎にそれぞれ主役が交代して演奏し、聴衆の喝采を浴びていましたが、最後の冬では寺神戸亮が勤め、余裕を持った演奏で貫禄を示していました。

オーボエの演奏も生で聴いてみて、得も言われぬその音色の素晴らしさに圧倒され、CDではその音色の一端が伺えるに過ぎないと生の素晴らしさを改めて実感できました。その昔、NHK FM「朝のバロック」、解説者の服部幸三氏がオーボエの繊細な音を出すには、オーボエの口の部分は竹で出来ていてこれを丹念に削って使用し常に百本くらいは準備しておくのだという解説を思い出しました。

全体の雰囲気はアットホームでほのぼのとしたものが伝わりました。これはリーダーの鈴木雅明の人柄、リーダーシップによるものでしょうか。また、鈴木雅明の息子の鈴木優人もメンバーでチェンバロとオルガンを演奏していました。鈴木優人は、調布音楽祭のエグゼクティブ・プロデューサーを勤めていてその役割も演奏の合間に果たしていました。この親子の役割分担も全体のまとまりを良くしているようでした(別の日に親子のチェンバロの競演があったようです)。

次は鈴木雅明が推奨するバッハの「ミサ曲ロ短調」の生演奏を聴きたくなりました。私は「マタイ受難曲」ガバッハの中で1番好きで繰り返し聴いていますが、鈴木雅明は「ミサ曲ロ短調」を隅々まで凝らされた建造物に例え、遠くから眺めれば揺るぎない大聖堂のようだが、近寄れば複雑なモザイク模様が絡み合い、細部まで興味が無限に尽きないと評しています。是非この曲を鈴木雅明の演奏で聴いてみたくなりました。

ところで、バッハの良さはどこにあるのでしょうか。バッハは常々音楽は楽しくなければならいと言っていたということです。それが何百年という年を経て現在にも伝わって来るからでしょうか。バッハを聴くと心が和みます。どの曲も好きですが特に好きなのは、マタイ受難曲、無伴奏チェロ組曲、無伴奏バイオリン組曲等です。聞く音楽に迷ったらバッハというのが私の流儀です。バッハを聞いたことない人も是非、聞いてみると、その素晴らしさの虜になること請け合いです。

 

2015年10月 7日

9月のブログー増加する難民問題について

      9月のブログー増加する難民問題について

 

今月も増大する難民問題を取り上げ、問題の根本にある条約等にも言及します。

8月2日に2歳の幼児の死体が海岸に打ち上げられたことで、ヨーロッパ各国の難民への対応がガラリと変わり、前向きの取り組みが進展し、それは歓迎すべきことですが事態は依然深刻です。

先ず、このような事態を招いた根本原因、諸悪の根源と言えるのは当時の三大強国英、仏、露が恣意的に国境の線引きを図ったことにあります。それは、サイクス・ピコ協定で、この協定は、1916年5月にイギリス、フランス、ロシアの3カ国が締結した秘密協定で、当時オスマン帝国が領有していた東アラブ地域におけるイギリスとフランスの勢力圏を定めたものです。協定では、フランスが現在のレバノン、シリア、イギリスがパレスチナ南部とヨルダン支配地・勢力圏とし、エルサレムを含むパレスチナ中部を3カ国による国際共同管理と定めました。現在、シリア、イラクを含む東アラブ地域の諸国家は、おおむねこの協定に基づいて設定された境界線を国境として独立しています。この住民を無視した、恣意的国境設定は、民族・国境紛争を引き起こし、現在の難民問題につながっていることの理解が必要です。つまり、問題を作り出したのは現在のEUにあります。

9月までに、難民の死者は2600人、EU、特にドイツや北欧に移動した密航者は35万人に達しています。彼らは、ヨーロッパ各国の無力な対応の犠牲者と言えます。9月末に開催されたEUサミットでも首脳たちの足並みの乱れを示すと共に彼らの及び腰の姿勢は、世界の各国に無為無策の姿勢をとる口実を与えています。難民希望者が最初に入国した国で認定手続きを受けるよう定めたダブリン条約が責任逃れになっています。

難民の最終目的地は、地理的理由から地中海沿岸諸国やバルカン半島を経由してヨーロッパを目指し、ドイツやイギリスになっています。EU加盟国の多くは、国境検査なしに域内を自由に行き来できるシェンゲン協定を批准していますが、今回のEUの亀裂は、この協定を脅かし兼ねません。現に経由地であるハンガリーでは、国境管理を強化して、国境付近では警察官が催涙ガスや放水銃で難民の流入を力ずくで阻止しようとしています。クロアチアはこれ以上の難民は受け入れられないと声明を出しています。さらに、ギリシャ、イタリーは、同協定批准国以外の国境管理で悲鳴をあげていて、他の国でも移民への恐怖を煽るポピュリスト達の躍進を許しています。欧州各国では、近年、失業増加や、格差拡大への不満が高まり、反移民や反EUを掲げる反体制派政党が存在感を増して国内対立が増加しています。

現在、レバノン、ヨルダン、イラク、トルコ、イラクに滞在しているシリア人は、国内避難民と合わせて1100万以上に達していますが、戦争の終わる見通しはたっていません。難民危機は、更に深刻化することが予想されます。今後もEUへの移民の大量移入が続けば、EUの根幹が崩れる自体に発展しかねません。そのためにも、当面の対策以外に根本的な対策が必要です。シリアの難民を止めるには、悪の根源であるアサド政権とイスラム国の始末をつけなければ、自体は悪化こそすれ解決しません。責任ある大国は、シリア、イスラム国を悪ではあるが、これを倒せばより大きな問題が発生することを恐れ、必要悪として現状維持を望んでいるのではないかと懸念されます。

現時点における、次善の策はヨルダン、レバノン、トルコといったシリア周辺国に十分な支援を提供することにあるでしょう、そうすれば移民が命懸けで地中海を渡る危険を思い留まらせることになり、また、近くにいた方が問題ガ解決した場合、速やかに帰国が可能となるからです。

シリア難民の問題は、EUが主な責任を負うべきですが、他の国も傍観できません 。1951年に採択された「難民の地位に関する条約」が示すとおり、国際社会全体で難民に対して連帯責任を負っているからです。

日本の対応策ですが、あいも変わらず、安倍首相は、難民支援のための金額を負担することにしました。しかし、金額支援だけで世界の理解が得られるでしょうか。対するドイツは、年内に人口の1%に相当する80万人の難民の受入れと60億ユーロの難民対策費の増額を決めています。このメルケル首相の決意は、世界で歓迎されましたが、多様性への寛容な国への道は険しいようです。治安の悪化や、財政負担の増加の懸念から、難民拒否の声が再び高まっています。それでも、ドイツは課題を乗り越え、難民とともに生きようとしています。いずれ日本も、それ相応の難民受け入れが要求されることは明らかです。私たち国民はどのように対応するか決断を迫られる時期は近いと思われます。よそ事としてはすまされなくなるのではないでしょうか。その準備は今から必要です。

結論としては、EUは、今以上に真剣に難民問題に取り組む必要があります、それと共に全世界が一丸となって早急に解決へ取り組む必要があるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年10月 7日

9月のブログー増加する難民問題について

      9月のブログー増加する難民問題について

 

今月も増大する難民問題を取り上げ、問題の根本にある条約等にも言及します。

8月2日に2歳の幼児の死体が海岸に打ち上げられたことで、ヨーロッパ各国の難民への対応がガラリと変わり、前向きの取り組みが進展し、それは歓迎すべきことですが事態は依然深刻です。

先ず、このような事態を招いた根本原因、諸悪の根源と言えるのは当時の三大強国英、仏、露が恣意的に国境の線引きを図ったことにあります。それは、サイクス・ピコ協定で、この協定は、1916年5月にイギリス、フランス、ロシアの3カ国が締結した秘密協定で、当時オスマン帝国が領有していた東アラブ地域におけるイギリスとフランスの勢力圏を定めたものです。協定では、フランスが現在のレバノン、シリア、イギリスがパレスチナ南部とヨルダン支配地・勢力圏とし、エルサレムを含むパレスチナ中部を3カ国による国際共同管理と定めました。現在、シリア、イラクを含む東アラブ地域の諸国家は、おおむねこの協定に基づいて設定された境界線を国境として独立しています。この住民を無視した、恣意的国境設定は、民族・国境紛争を引き起こし、現在の難民問題につながっていることの理解が必要です。つまり、問題を作り出したのは現在のEUにあります。

9月までに、難民の死者は2600人、EU、特にドイツや北欧に移動した密航者は35万人に達しています。彼らは、ヨーロッパ各国の無力な対応の犠牲者と言えます。9月末に開催されたEUサミットでも首脳たちの足並みの乱れを示すと共に彼らの及び腰の姿勢は、世界の各国に無為無策の姿勢をとる口実を与えています。難民希望者が最初に入国した国で認定手続きを受けるよう定めたダブリン条約が責任逃れになっています。

難民の最終目的地は、地理的理由から地中海沿岸諸国やバルカン半島を経由してヨーロッパを目指し、ドイツやイギリスになっています。EU加盟国の多くは、国境検査なしに域内を自由に行き来できるシェンゲン協定を批准していますが、今回のEUの亀裂は、この協定を脅かし兼ねません。現に経由地であるハンガリーでは、国境管理を強化して、国境付近では警察官が催涙ガスや放水銃で難民の流入を力ずくで阻止しようとしています。クロアチアはこれ以上の難民は受け入れられないと声明を出しています。さらに、ギリシャ、イタリーは、同協定批准国以外の国境管理で悲鳴をあげていて、他の国でも移民への恐怖を煽るポピュリスト達の躍進を許しています。欧州各国では、近年、失業増加や、格差拡大への不満が高まり、反移民や反EUを掲げる反体制派政党が存在感を増して国内対立が増加しています。

現在、レバノン、ヨルダン、イラク、トルコ、イラクに滞在しているシリア人は、国内避難民と合わせて1100万以上に達していますが、戦争の終わる見通しはたっていません。難民危機は、更に深刻化することが予想されます。今後もEUへの移民の大量移入が続けば、EUの根幹が崩れる自体に発展しかねません。そのためにも、当面の対策以外に根本的な対策が必要です。シリアの難民を止めるには、悪の根源であるアサド政権とイスラム国の始末をつけなければ、自体は悪化こそすれ解決しません。責任ある大国は、シリア、イスラム国を悪ではあるが、これを倒せばより大きな問題が発生することを恐れ、必要悪として現状維持を望んでいるのではないかと懸念されます。

現時点における、次善の策はヨルダン、レバノン、トルコといったシリア周辺国に十分な支援を提供することにあるでしょう、そうすれば移民が命懸けで地中海を渡る危険を思い留まらせることになり、また、近くにいた方が問題ガ解決した場合、速やかに帰国が可能となるからです。

シリア難民の問題は、EUが主な責任を負うべきですが、他の国も傍観できません 。1951年に採択された「難民の地位に関する条約」が示すとおり、国際社会全体で難民に対して連帯責任を負っているからです。

日本の対応策ですが、あいも変わらず、安倍首相は、難民支援のための金額を負担することにしました。しかし、金額支援だけで世界の理解が得られるでしょうか。対するドイツは、年内に人口の1%に相当する80万人の難民の受入れと60億ユーロの難民対策費の増額を決めています。このメルケル首相の決意は、世界で歓迎されましたが、多様性への寛容な国への道は険しいようです。治安の悪化や、財政負担の増加の懸念から、難民拒否の声が再び高まっています。それでも、ドイツは課題を乗り越え、難民とともに生きようとしています。いずれ日本も、それ相応の難民受け入れが要求されることは明らかです。私たち国民はどのように対応するか決断を迫られる時期は近いと思われます。よそ事としてはすまされなくなるのではないでしょうか。その準備は今から必要です。

結論としては、EUは、今以上に真剣に難民問題に取り組む必要があります、それと共に全世界が一丸となって早急に解決へ取り組む必要があるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

森島 中小企業 ISO支援オフィス


コンサルタント 森島高明


〒194-0045
東京都町田市南成瀬1-2-1 成瀬駅前ハイツ2-1005号
TEL: 042-723-1478    FAX: 042-723-1478