2019年12月 7日
2019年11月のブログ ― 読書について
2019年11月のブログ ― 読書について
「一冊の書物はいつも理解される事を願ってそこにある」 ― 吉本隆明
今月は、読書について取り上げます。今更、読書なんてとお考えの方もいらっしゃるでしょうが、改めて初心に帰って考えて見られるのもいかがかと思われます。
私の心に残る本は以下のものとなっています。
吉本隆明: 吉本隆明詩集、マチウ書試論、最後の親鸞
フーコー: 言葉と物、知の考古学
ヘーゲル: 精神現象学、哲学史
宇野弘蔵: 経済原論、恐慌論
マルクス: 経済学哲学手稿
今、手にしていて興奮しながら読みつつある本
長原豊 敗北と憶想ー戦後日本と<瑕疵存在の史的唯物論>
このような本を読むの私の読書についての考え方の一端を述べてみようと思います。
1.読書とは
書物を読むということは、書かれた表現を頼りながら著者の精神的な生活を追体験することであると考えます。この考えでいくと、私は本をたくさん読んでいるつもりですが、幾ら読んでも後に残るものが少ないかもしれません。新しい考え、面白い視点が見られてもそうかと済ましているように思えます。
2.何故読むか
何故読書をするのかと言われての私の答えは、同じ考え方をもつ見知らぬ人の出会い、そのことにより心の慰みが得られるからです。生の人間では、なかなか自分と同じ考えの人が見つからず孤独を感じることまありますが、書物を通じて同じような考えと出会えることは同じ悩みを乗り越えた人がいると救われたという思いと励ましを受け元気を出すことができます。書物の中に多くの同類が見つけられると救われ書物を読むことが病みつきになりますます深入りしてしまいます。
3.自分にとって良い書物とは
何が良い書物という判断は、自分が比較的得意な項目、自分の体験した事柄を総合して、その書物がどう書いてあるか拾い読みしてみればよいでしょう。自分の知識や体験に関係ない書物の場合はどうするかですが、それはその書物に含まれている世界によって決められるでしょう。優れた書物には、どんな分野のものであっても小さな世界が有り、その世界は著者の持っている世界の縮尺のようなものです。この縮尺には著者の通り過ぎた場所、出会った人々や思い煩った跡が小さくなって書かれています。このような世界に触れ、感じ、考えた時、読者は著者に出会ったこと、著者の精神的な生活を追体験することになると言えます。
4.良い書物に出会う方法
良い書物に出会うには、種々の方法があるでしょう。新聞の書評、友人の勧め、書店での立ち読み、図書館での閲覧があります。その気になればいくらでも機会はあると言えますが、著者名、本のタイトルで読もうと決めても外れでがっかりすることもあります、図書館で目を通して選ばれるのが最適と考えます。
読書は、大きな出費をせず、時間さえ取れば無限に楽しめ、終わり無しの追求ができるものです。その意味で読書って本当に素晴しいものと思われます。